長くなってきた職歴シリーズも終盤に近づいてきました。
8年半続いた介護事務の話。
ここで私は2度目の整理解雇に合いかけます。
解雇…こんなに頻度が高く遭遇するなんて、自分に原因があるのだろうとその時は凹みました。
介護保険の話
包括
私が働いていた介護事務の会社は訪問看護と居宅支援事業所、地域包括支援センターの3事業体で形成されています。
地域包括支援センターは市の管轄なので営利目的ではありません。
私の市内では包括は4箇所ありますが、うち2箇所は大きな施設を持っている業態です。
病院・特別養護老人ホーム・訪問看護・ヘルパー事業所・福祉用具・居宅介護支援事業所・デイサービス…
こういった事業所で連携が取れると経営も安定するようです。
包括から居宅のケアマネに新規の依頼⇨福祉用具やヘルパーの依頼があればグループの事業所に依頼。
病院から居宅のケアマネに新規の依頼⇨福祉用具やヘルパーの依頼があればグループの事業所に依頼。
このようにグループの事業所に依頼できます。
包括側からすると、依頼できる事業所があると信頼もできて仕事も頼みやすいと言うことになるようです。
ただし、居宅には特定事業所集中減算という制度があります。
大まかにいうとヘルパー・福祉用具・デイサービスの事業所については、法人が同じ事業所に全体の80%以上依頼すると居宅介護支援費が減算されてしまいます。
私が勤めていた頃には訪問看護も対象になっていたので、80%を超えないように調整をしていました。
訪問看護
介護保険利用する頻度が高い事業所は、福祉用具とヘルパー事業所とデイサービスです。
訪問看護は医師の指示書がないと受けられないので、利用頻度は低めになると思います。
終末期を在宅で過ごすことは理想だと思いますが、現実はなかなか難しそう。
信頼できる往診医や訪問看護師、そして何よりも家族の介護力が一番です。
看取るのは怖い、不安で緩和ケアに入られる方も何人もいらっしゃいました。
訪問看護ではリハビリ目的でも利用される方が多いのですが、リハビリとなると理学療法士や言語聴覚士といった、看護師とは別の資格者が出向くことも多かったです。
私の勤めていた訪問看護では看護師のみだったので、リハビリ目的となると他の事業所に依頼していました。
当時は24時間加算を取っていなかったので、依頼件数が減っていく一方でした。
合併
3箇所あった訪問看護、私が所属していた事業所が閉鎖してから2箇所でやっていました。
その事業所も所長の行動に問題が発生して退職。事業所も閉鎖、合併することになってしまいました。
元々3人の訪問看護の事務員。
1人は正社員、もう1人はパート、私は居宅へと異動していました。
事業所が無くなってしまうもう1人のパートが辞めるのだとばかり思っていたのに、ある日統括管理者に呼び出されました。
「かおまえさん、ここを辞めてください。もう一人の人に聞いたら残りたいということなので、あなたの方が勤務年数が浅いから順番としてあなたに辞めてもらいます。」
頭が真っ白になりました😵
その時は「わかりました」と返事をしてしまったのですが、家に帰って考えれば考えるほど納得が行きません。
そうだ、薬局のクビ宣告の時に市の社労士相談に行ったんだった。もう一度行ってみようと思って予約しました。
社労士さんはこうアドバイスしてくれました。
勤続年数が短いからと行って整理解雇の対象理由にはならない。裁判をしたら500万円の賠償金を勝ち取った例もある。
500万は余程の事例なのだとは思いましたが、私は居宅の事務としては私の方が歴が長いこと、解雇される理由がないということで戦うことを決めました。
翌日、統括管理者に言いました。
「私は辞めるつもりはありません。」
統括は焦っていました。
なんとか私を辞めさそうと必死でしたが、社労士さんに聞いた通り
受け入れませんと言いました。
しばらくして統括はこんな提案をしてきました。
時給を下げる、週21時間を減らす、ボーナスなし。
もう1人も辞めないといっているので、2人で仕事をシェアするしかないと言われました。
1週間の勤務を2人でシェアしろということです。
2人雇う予算はないので人件費をカットするという内容です。
おそらく弁護士に相談したうえでの提案なのでしょう。
こうなったら意地でも辞めてやらないと、居座ることにしました。
もう1人のパートには恨まれたと思いますが、私は悪いことはしていない。
今の仕事を作り上げてきたのは私だし、有利なはず。
少しの間根比べが続き、合併前にもう1人のパートは辞めて転職して行きました。
まとめ
もう1人のパートが辞めて、時給アップはありませんでしたが現状維持になりました。
ボーナスも週21時間も継続です。
それでも1回こんなことがあったらモチベーションが続くはずがありません。
私も辞めてやる!と思いながらも年齢と待遇の良さに数年間あぐらをかいてしまったのです😥