私の人生で一番長く務めた職場が介護事務。
介護事務にも色々あるのですが、訪問看護の後は居宅介護支援事業所の方に異動することとなりました。
訪問看護とは全く違った仕事内容になったのです。
介護事務
ケアマネ
訪問看護が合併することになりいよいよクビかと思っていたのですが、本店にある居宅介護支援事業所の事務をしないか?と誘っていただき、異動となりました。
居宅支介護援事業所とは、ケアマネージャーが属する事業所です。
ケアマネージャーは介護認定を受けた利用者さんからの依頼で担当となり、ケアプランを作成します。
本店には包括支援センターがあるので、そこからの依頼が8割くらいでした。
ケアマネがヘルパー事業所や訪問看護、福祉用具の事業所を選ぶので、仕事内容としては真逆の内容です。
事務職として配置されたのは私が初めて。
仕事内容も決まっていなければ、マニュアルもありません。
介護事務と言っても給付管理はケアマネたちが各自でするというふうに決まっていたので、私の仕事は雑用10割になりました。
ケアマネは私よりも8歳から15歳年上だったので、昼休みに雑談していても話す内容が噛み合わず…
最初は本当に辛かったです。
ここにいていいのだろうか?
私はいなくても別に困らない。そもそもなかったポストなのだから…
それでも必死にできる仕事を探して、少しでも皆さんのお役に立てるように頑張りました。
「事務は稼いでないから人件費マイナスだ」と言われても…。
事務は稼いでないとは、ケアマネージャーがケアプランを作成して介護給付の請求をすると、国保連から給付金が振り込まれます。
事務員はただ雑用をしているだけなので、確かに稼いでいないしマイナスかもしれません。
でもケアマネの皆さんが少しでも雑用をしないで済むよう、業務に集中できるようにサポートしていたつもりなのに…。
事務は稼いでない
今思い出してもショックな言葉です。
杜撰な管理
介護事務の母体はある団体なのですが、経営に関しては丸投げ。
何年かごとに統括管理者(一番トップ)が変わります。
私が入社する前、初代統括管理者女性はワンマンで誰も逆らえなかったそう。
給料もその人の独断と偏見で決まっていたようです(苦笑)
やがて初代が定年となり、二代目の時に私は採用されました。
二代目は男性。前職を定年退職しての再雇用です。
二代目がきてから給料規定などもきっちり改定され、福利厚生も良くなったようでした。
パートでも年間2ヶ月分のボーナスと有給がある会社。今まで遭遇したことありません。
仕事内容にやりがいを感じなくても、通勤5分、ボーナスと有給のある会社を辞める勇気がありませんでした。
待遇が良くなるということは、人件費も嵩むということです。
二代目は後からきた雇われ管理者なので、みんな言うことを聞きません。
遅刻、サボり、意味のない残業が横行していました。
毎年大きな赤字となり、二代目は
「このままだと後10年でここは潰れる」
と言いました😵
えっ?!10年で潰れたら私は50代半ば…。そこで路頭に迷っても再就職先を見つけるのはかなり難しくなる。
そうなった時に困らないよう、まずは資格を取得しようと介護職員初任者研修旧ヘルパー2級の資格を取りました。
掛け持ちの仕事
資格を取得したので、まずは掛け持ちができそうな仕事を探してみました。
ヘルパー業務は料理に自信がない、デイサービスは掛け持ちでは難しい。
障害者支援の仕事、ガイドヘルパーを見つけました。
ガイドヘルパーはホームヘルパーとは別の仕事。
行動援護従業者養成研修と同行援護従業者養成研修の資格を取りました。
行動援護従業者養成研修はガイドヘルパーに、同行援護従業者養成研修は視覚障害の方の外出サポートに必要な資格です。
どちらの資格もとても勉強になりました。
ガイドヘルパーの方は2ヶ月ほどお仕事をさせてもらったのですが、19歳の女性の外出サポートと60代の視覚障害の女性の家事支援でした。
外出サポートは良かったのですが、家事支援の方は私の苦手な料理があり…。
人手が足りないのでどんどんシフトの依頼があり、両立がしんどくなって辞めてしまいました。
ガイドヘルパーを本業にするのは体力的に厳しいとも思いました。
まとめ
何度か掛け持ちをしては失敗している私。
掛け持ちは中途半端になり、長続きしない性格なのだと思います💦
在宅でできる仕事を考えないとなあ。
やってみたいことはたくさんあるのです。
動画編集、ライティング、プログラミング…。
まずは登録販売者研修中が終わるまでは本業に専念しなければと思っています。