先日、我が家の末っ子の次男が20歳になりました。
もう我が家には、10代の子がいなくなってしまった寂しさもあります。
次男だけは里帰り出産ができなかったので、静岡県で生まれました。
静岡県で生まれる
前日
次男が生まれた時は長女が小学2年生、長男が幼稚園年中組でした。
私の出産の際は、いつも破水から始まります。
次男も、やはり破水から始まりました。
朝、怪しいな?とは思ったのですが、その日は長女のピアノレッスンの日。
夕方の自宅でのピアノレッスンの後に、病院に電話してみました。
陣痛も始まっていなかったのですが、すぐに病院に来るように言われました。
夫には仕事を早退してもらい、病院に連れて行ってもらってそのまま入院に。
夫は長女と長男を連れて、夕食を食べに蕎麦屋さんに入ったようですが、長女に
👧「お母さん、いつ帰ってくるの?」
と、悲しそうな顔で言われたので、きっと蕎麦屋の店主には
👨(この人は奥さんに逃げられたに違いない)
と思われたと言っていました😅
私は勝手に、『北の国からの蕎麦屋でのシーン』を想像しました😅
当日
破水から11時間も経ってしまっていたので、陣痛は来なくとも翌日までには促進剤を使って出産をしないといけない説明を受けました。
夜中は寝てしまったので、陣痛が止まってしまいました。
朝方5時に看護師さんが来られて、促進剤の投入が始まりました。
3人目なので急激に陣痛が進み、3時間後には分娩台という状態でした。
当時、その病院では『ソフロロジー方式』という分娩方法でした。
事前にCDを購入し、音楽に追わせながらの独自の呼吸法でした。
実際に産むときは、楽だった感覚でした。
3人目だったということもあったのかもしれませんが、それほど痛み苦しんだ記憶はありません。
実習生が見学したいということで、出産の見学もされました。
さすがに、頭の方からの見学にしてもらいました💧
いくら3人目といえども、他人に見られていると思うと落ち着きません。
出産後2時間ほどして、まさかのアロママッサージを受けることになりました。
当時の病院ではアロママッサージのサービスがついていたのですが、その日を逃すともう私は退院してしまっているということで、産後2時間でアロママッサージ😅
じっくりと体験することができなかったので、特にいらなかったサービスでした😅
退院まで
母子同室だったので、家族が自由に入ることができました。
退院前日に、フランス料理のフルコースが振る舞われることになっていました。
母乳の出具合が悪かったので、私は食べられなくなり(脂質が多い食事ということで)夫や長女が喜んで食べていました😭
退院してから
長女は夜中一晩中夜泣き、長男は夜泣きゼロの子でしたが、次男は寝ぐずりの子でした。
生後1ヶ月も立たないうちに夫の転勤が決まってしまい、ワンオペでの育児になりました。
小学2年生、幼稚園年中、新生児を抱えての実家が遠方での育児は、本当に辛かったです😭
当時の幼稚園ママ友たちが順番に長男を預かってくれて、本当に助けてもらいました。
長女の小学校が二学期を終えてから、私たち家族は夫の待つ近畿地方へと引っ越しました。
引越し後
引越し後も目まぐるしく忙しかったです。
長女の転校の手続き、長男の幼稚園転園の手続き、その上に引越し1週間前に冷蔵庫が壊れてしまったので、引越し当日に家電量販店にも行きました。
新生児を連れてバタバタと移動していたことが、予期せぬ結果となりました。
引越し翌日に発熱
次男が発熱してしまい、咳もしていて飲んだミルクを全部吐いてしまっていました。
最初にかかった小児科では水薬を処方されましたが、一向に良くなりません。
二日後に違う小児科にかかると、総合病院への紹介状をもらって即入院することになってしまいました。
RSウイルスに感染していました。
結局1週間ほど入院し、大晦日に退院となりました。
まとめ
そんな次男ももう20歳になったのだと思うと、ちょっと感慨深いものがあります。
8歳と5歳歳の離れた姉兄に揉まれながら育った、末っ子の次男。
本当に要領だけは、きょうだいの中でも群を抜いています😅
時々余計なことを言って、夫の逆鱗に触れていたのは夫譲りの性格のよう😁
大学生活もあと2年あまり。
就職で家を出ていくと、いよいよ夫婦2人だけの生活になってしまいます。
両親も私や兄が結婚し、家を出て行ってしまってこんな気落ちだったのだなあと今になってわかります。
子供たちの誕生日が来ると、生まれた日のことを思い出して懐かしんでいます。