2022年GW帰省②

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雑記

父が亡くなって6年目。母は普通自動車の運転免許を持っていません。

父が免許を取らせてくれなかったのです。

運動音痴の母が免許を取ったら、

「事故でも起こしたら、俺はおちおち仕事に集中できん!」

というのが理由です。←典型的な昭和の亭主関白

原付の免許は取らせてもらえたようで、今でも愛車のスーパーカブであっちこっち走り回っています。

(ちなみに40年以上無事故無違反なので、意外と車の運転もできたのかもと今さらながら思います。)

免許のない母のために、実家帰省したら私にはいつもいくつかのミッションがあります。

初日にミッションを済ませる

黒川種苗園へ

今回のミッションは

  1. 畑の苗を買いに行くこと
  2. クリーンセンターに大型ゴミを出しに行くこと
  3. ゴミバケツをホームセンターに買いに行くこと

事前に母に頼まれていたことは、この3点です。

私には兄がいます。

同じ県内の、車で30分ほどのところに住んでいるのですが、母は兄に頼むのを躊躇します。

躊躇する理由は

  • お願いしても、来てくれるまでに時間がかかる。
  • 兄はなんでも馬鹿丁寧に作業をするので、作業にも時間がかかる。
  • 買い物に行っても車で待っているので、落ち着いて買い物ができない。

兄は兄の生活もあるし、性格もあるので母の思い通りにはいきません。

かといって、私も216キロも離れたところに住んでいるのでそう頻繁にはいけないのです。

それでもなんとか一人でできることは一人でやって、この5年あまりを過ごしてきた母はすごいなあと思います。私が少しでも役に立つのならという思いで、帰省した時にはまとめてミッションを実行します。

畑の苗はホームセンターにも売っているので、タイミングが合わない時はホームセンターで買っているようです。

父がいる頃は苗専門店に買いに行っていたので、黒川種苗園に行きました。

苗専門店は少し値段が高めのものもあるのですが、品物がしっかりしています。

母を連れて行っているうちに、私もそのお店に行くのが楽しみになりました。

すぐに枯らせてしまうくせに、毎回何かしらのお花の苗を買って帰って自宅の庭に植えています。

クリーンセンターへ

大型ゴミは、クリーンセンターに持ち込むと10キロ100円で引き取ってくれます。

私の住んでいる市も10キロ60円なので、子供の進学や就職で引っ越しの度に粗大ゴミを持ち込んでいます。

母も父がいるときはよくゴミを持ち込んでいたようですが、さすがにスーパーカブでは持って行くことはできません。

今回は竹の敷物(200❎200)と、バーベキューコンロとゴミバケツを捨てに行くことになっていました。

基本は平日の午後しか持ち込みできないので、せっかちの母が待ちに待ったおまちかねの頼み事です。

車にゴミを積もうとすると、「これも捨てたいんやけど…」と、父が趣味で山草を育てていた山草鉢を置いていた台の木材(30❎200)が。

腐ってしまっているのでシロアリがつくと怖いと言います。

こんな長さの汚れた木材を車に積むのは嫌だな…。

以前乗っていたワゴン車だったら問題なく積めるのですが、今はミニバン。

ノコギリで半分に切ろうということになり、母が物置からノコギリを出してきたのですがサビサビ😵

ノコギリの幅もあるのでしなりまくり💧

「お〜ま〜え〜は〜ア〜ホ〜か〜」を連想してしまいました←なんとなく知っている程度の世代😅

20分ほどかかってやっと木材は真っ二つに。無事にクリーンセンターに持ち込むことができました。

ホームセンターに行き、帰ってきて畑仕事

実家のある地域はホームセンターがたくさん。

4社ほどありますが、母が一度も行ったことのないお店に行ってみました。

ゴミバケツや畑の肥料を買い、実家に戻ってからは野菜の苗を植えるお手伝い。

父がいる頃は二人でしていたので早かったようですが、今は一人なので時間もかかります。

私がいる時くらいはと、母の助手を務めました。

父は器用な人だったので、苗を植えるセンスもよければ手際も良かったようです。

母はとても不器用な上に雑なので、いつも父に軽くディスられていました^^;

父との畑仕事の思い出話を聞きながら、1時間ほどで作業は終了しました。

「やっぱり二人でするとあっという間に終わって助かった。」

と母が喜んでくれて、初日のミッションは終了。

父にできなかった親孝行が少しでもできた気持ちになり、私自身も心が満たされた1日となりました。

まとめ

夕飯は畑で採れた野菜を中心に、おかずがたくさん並びました。

母は料理をするのが大好きで、私が帰省するととても二人で食べきれないほどのおかずを作ってもてなしてくれます。

ああ、母の作ったご飯はどんなご馳走よりも美味しい。

父はもういなくなってしまったけれど、母と何気ない日常がいつまでも穏やかに続きますようにと帰省の度に思うのでした。

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