薬局を辞めた後は約3ヶ月のブランクが開きました。
辞める時は次を見つけてから辞めるを続けてきたのに…
運気を断ち切るためにもMちゃんと近所の厄除け神社にいきました。
ハローワークに通い続けながら、ギリギリまで失業給付をもらうという選択肢もあったのですが、
気持ちが落ち着かず、早く再就職したくて就活を頑張りました。
再就職先が決まる
ケーキ屋さんでバイト
薬局を辞めたのが11月末。
斜め向かいにあるケーキ屋さんが、時々残ったケーキや試作品をもってきてくれていたので仲良くなっていました。
時間があるならバイトしてほしいと言われ、焼き菓子を袋詰めする仕事をさせてもらいました。
個人経営のケーキ屋さんなので、このままずっと仕事があるというわけではなく、あくまで臨時。
失業給付をもらいながらのバイトとしてはちょうど良い時間でした。
ただ、私は不器用なので仕事が遅くお役に余立てずに申し訳なかったです。
派遣の仕事か直雇用か
総合病院の受付の仕事が派遣で募集していました。
一次面接は通過し、二次面接の段階で気になる仕事をハローワークで発見
総合病院の仕事の派遣会社に相談してみましたが、二次面接は形だけのものでほぼ採用となる、採用後の辞退は困ると言われたのでかなり迷いましたが辞退しました。
後悔しないためにも気になる求人に応募。面接は年明けだったのですが、人生で初めての集団面接でした。
介護事務の仕事は初めてです。
資格保持者や私よりも若い人、錚々たるメンバーが5人いました。
ああ、これはもう落ちた…
帰り道にそのままハローワークに立ち寄って求人検索をしましたが、気になるものはありませんでした。
自宅に着いてまた一から出直しと思っていたところに、電話が。
採用の連絡でした。驚きと共に嬉しかったです。
採用になった理由は、おそらく雑用もなんでもやりますと言ったことだと思います。
総合病院の派遣の仕事よりも遥かに待遇が良く、やっと再就職が決まった安堵もありました。
訪問看護の事務
介護事務と言っても色々なパターンがあります。
特別養護老人ホームのような大きな施設での介護事務、ヘルパー事業所での介護事務など…。
私が採用になった介護事務は訪問看護の事務でした。
訪問看護とはなんぞや?から始まった仕事。
前任者との引き継ぎはたったの三日間でした。
その前任者は 私はストレスで円形脱毛症が三箇所もできた。という言葉を残して去っていきました。
前任者の在籍期間は9ヶ月。その前の人は20日間ほどだったようです。
看護師さん5人の中に私一人事務員。
これは人間関係構築が大変そうなところに来てしまった😥
女性ばかりだし、なんだかややこしそう…。
3回目の勤務で嫌になりましたが、ハローワークからの再就職手当をもらわなければ。
離職してまた失業給付復活の就活はキツい。
せめて2週間は頑張ろうと思いました。私のいつもの魔の2週間です。
新しいことに挑戦するのは好きな私。
初めての世界に刺激を受け、仕事は楽しくなってきました。
5人中2人が私と同じ歳で、他の人たちとも年齢が近かったので打ち解けることができました。
仕事内容は電話番と制服の洗濯、事務所の掃除、必要に応じて点滴台などを利用者様宅に車で運ぶ、月一回の介護給付請求、市役所に書類提出等、8割が雑用でしたが全く苦になりませんでした。
訪問看護は介護認定を受けた利用者様が医師の指示書のもとに訪問看護を利用する制度。
点滴や服薬管理、リハビリなど、看護師さんにとってコミュニケーション能力が求められる仕事です。
当時は介護保険というものすら理解していなかったので、看護師さんたちから色々な話を聞くのは新鮮でした。
一人暮らしのおばあちゃんの不安な話を聞いてあたり、介護するご家族の悩みの相談に乗ってあげたり。
担当医はさまざまで、親身になって往診してくれる先生もいれば、顔をみて数分で帰る先生もいて、
住まいの医療事情も入ってきて勉強になりました。
楽しい時間はいつまでも続きません。
事務所を借りている家主に重大な問題が発生し、事務所を移転することになりました。
事務所移転先がなかなか見つからず、本社の施設の空室に引っ越すことに。
同じ施設内に訪問看護が本店と支店のように、二箇所ある状態が続きましたがそれも1年で合併することに。
本店には正社員の事務員がいたので、私のポストはなく、ああ、また私は整理解雇になるのだろうと暗い気持ちでいました…
まとめ
小さな会社でも人間関係が良ければ楽しく働けます。
でも、移転や合併は突然で、経営難という試練が襲ってきます。
私が入社したときは3つの訪問看護事業所があった会社。
辞める頃には1つになっていました。
9年前に比べて訪問看護事業所はかなり増えたので、競争率も高くなったようです。