私の職歴②

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お仕事りれき

20代の私は正社員として働きました。今のところ、正社員として働いたのは1社のみです。

今後も正社員になるのは年齢的にも体力的にも難しいだろうなあ。

正社員として働くママさんを本当に尊敬します。

20代の職歴

造船会社に就職

短大卒業後に、私は地元に戻って働くことになりました。

本当は関西で就職したかったのですが、両親は卒業後に地元に戻ってくることを条件に県外の短大に行かせてくれたので、それは許されませんでした。

田舎の地元には戻りたくない。短大2年生の私は就活にかなり消極的でした。

しびれを切らせた両親が、必死で求人を見つけてきては私に応募するよう促しました。

本人は全くその気がないので不採用続き(苦笑)。

年が明けて卒業まであと3ヶ月を切っているのに、まだどこにも就職が決まっていませんでした。

当時はネットなどなかったので、書店で求人情報誌を買ってみていると気になる企業があったので応募しました。

なんと、採用になり、『新入社員予定者歓迎会』みたいなものにも招待され、美味しいすき焼きでもてなされました。

すっかりその会社に入社する気になっていた私。

それでも両親は諦めなかった…。

2月に造船会社が女性社員を募集していることを知り応募するようセッテイングされ、面接に行くことに。

そして採用となり、『気になる会社』は辞退することになってしまいました…。

自分の意志は全く無視されて入社した会社で、うまくいくはずがありません。

まだ週休二日が当たり前ではなかった時代に、造船会社は完全男社会。

少ない女性社員には強固な派閥があり、仕事内容に興味もなければ人間関係も最悪。

遠距離恋愛だった夫と結婚するために1年4ヶ月で退職することになりました。

らーちゃん
らーちゃん

少し早めに退職してしまったので、2ヶ月間モスバーガーでバイトしてたよ。

あっ、これも職歴になるね。

結婚後初めてのパート

転勤族の彼と結婚し、関西の片田舎の社宅住まいとなった私。

知り合いもゼロで、家にいても退屈で仕方なかった私は就活をします。

最初は同じ社宅の方からの紹介で郵便局のパート勤務でした。

郵便局と言っても今度は年賀はがきではなく、保険課の仕事でした。

DMを送ったり、電話応対したり、和気あいあいとのんびり仕事のできる環境。

当時の局員の方も親切で、今でも年賀状のやり取りがあるくらいに可愛がっていただきました。

ただ、良い環境の仕事というのは長続きしないもので、予算がつかないと仕事を切られるという当時のシステム。

3ヶ月ほどで一旦終了し、予算が付いたらまた声かけするねということでした。

らーちゃん
らーちゃん

不定期の仕事は安定しなくてダメだった。

予算がなかなかつかなかったので他の仕事を探した

社宅に昼間ずっといると、よろしくない現象が起き始め…。

奥さま方からお誘いしていただくのはありがたいのですが、その時間が苦痛で仕方なくて…。

子供がいない私は話題についていけず、圧倒される日々。

これはもう外に出るしかないと思って、またまた就活開始。

いくつか求人に応募したのですが、転勤族の壁にぶち当たります。

『2〜3年で引っ越してしまう人は雇ってもらえない』

この時は年齢ではなく、転勤族の壁に思い知らされました。

それでも家にいるのは苦痛でしかないので、東京海上火災(当時)の派遣登録をしました。

するとしばらくして連絡があったのですが、何故か東京海上の仕事ではなく、東京海上から派遣されての同和火災(当時)のお仕事でした。

時給の良さに魅力を感じた私は即決し、損保事務をすることになりました。

強烈なお局がいるとも知らずに…。

同和火災では自賠責保険の変更手続きや火災保険の契約データをPCに読み取ってチェックするというのが主な仕事でした。

仕事自体は楽しかったのですが、同じ派遣でも同和火災直属の派遣社員の女性がいて、年は15歳くらい上の独身の方でした。

私の前任は1日でトンズラしたようで、その前に働いていた社員の人はお局のいじめで辞めてしまったようでした。

えらいところにきてもうた😱

でも辞めて社宅こもり生活に戻っても、幼稚園児のお迎えアッシー🚗にされるだけです。

ここは踏ん張って頑張るしかないと、若干22歳の私はお局のご機嫌を損ねないよう、お伺いを立てながら契約期間の半年間勤務しました。

お局と初めて人間関係が良好だった人ということで?契約延長の連絡がありました。

でも、私ももうお局のご機嫌伺いをし続けるのは限界がきていたところに、ちょうど引っ越しの話が舞い込んできました。

夫の勤務先の事務所移転が決まり、引っ越さなくても通勤できない距離ではありませんでしたが、社宅生活にもピリオドを打ちたかったので社宅と損保事務に別れを告げて片田舎2へ引っ越しました。

らーちゃん
らーちゃん

時給は良かったけどストレスで買い物三昧してしまい、全然お金が貯まらなかった。

番外編

損保事務の前に会計事務所にパート採用されましたが、1週間で退職しました🙀

同時に採用された2人も同時にです。

一日中会計ソフトを打ち込むという仕事があまりにも苦痛だったのと、意地悪そうな女性社員がいて怖気付きました😥

辞める理由は『夫の体調不良』ということにしました。

数ヶ月後、夫と二人で夕食にお寿司屋さんに行ったら偶然にもその会計事務所で私の指導係のおじさんがご友人を食事に来ていて、ばったり出会いました😵

嘘はついてはいけませんという教訓です…

らーちゃん
らーちゃん

指導係のおじさんはとても優しい人だったんだけどね。

まとめ

20代、まだまだいろんな仕事にチャレンジできたであろう時期。

次の引っ越し先でもすぐに求職活動をしていたのですが、第一子妊娠となりひどい悪阻で入院までする羽目になって、それどころではなくなりその後しばらく休職状態となりました。

らーちゃん
らーちゃん

つわりは精神的に追い詰められて本当に辛かったです。

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