1月5日、我が家の長女が28歳になりました。
私も夫も、その年齢には2人の子供の親になっていました。
長女の結婚はまだ先かなあ。
子供たちの誕生日が来ると、いつも私は生まれた日のことを鮮明に思い出しています。
28年前の今日
予定日を過ぎました
里帰り出産で、11月末から帰省していました。
長女の出産予定日は、12月29日でした。
予定日になっても、ちっとも気配がありません。
秋篠宮家の佳子さまがお生まれになったニュースをみて、もう羨ましくて仕方ありませんでした。
第一子は何かと不安でいっぱいです。
30日にもしや陣痛?みたいな気配と勘違いして、病院に行ったのですがフライング…。
毎日、いつ陣痛が始まるかわからず周りも落ち着かない💦
そうこうしているうちに、とうとう年を越してしまいました…。
年明けの検診で
確か1月3日の検診だったと思います。
やはりまだ気配がなく、このまま生まれなかったら予定日から2週間がリミットだと言われました。
予定日を過ぎて2週間経つと、赤ちゃんと母親のリスクが高くなると言われたと記憶しています。
ますます焦る💦
焦っても仕方ないのに、なんだか悲しくなってきていました。
本当かどうかわかりませんが、歩くとお産を促すと聞いて、ウォーキングをしてみたりしました。
それでも全然陣痛の気配はなく、4日の朝には夫が自宅の京都府北部へ帰っていきました。
1月5日早朝に
夜中3時頃だったと思います。
トイレで目が覚めて、トイレに行きました。
部屋に戻った時に、パーンと音がしました。
破水してしまいました。
感覚的にはドバーッと出ていたので、焦ってすぐに両親を起こしました。
病院に電話をすると、入院の準備をしてすぐに来るように言われました。
父の運転で、母も一緒に病院まで連れて行ってくれました。
陣痛はまだまだ始まったばかり。
すでに陣痛室には、1人の妊婦さんがいらっしゃいました。
陣痛がなかなか進まず、破水をしていたということもあり、錠剤タイプの促進剤を飲むことになりました。
促進剤を飲むと一気に陣痛が進みます。
尋常ではない痛さに驚きましたが、母が背中をさすってくれました。
母もお産の時に父方の祖母に背中をさすってもらったそうです。
前日自宅に帰宅したばかりの夫に、母が電話をしてくれました。
朝の4時頃でしたが、まだ時間がかかるのでゆっくりこちらにきてほしいと伝えてもらいました。
父はまだ現役で働いていたので、帰宅して仕事に行ったようでした。
まだまだ時間がかかると思っていたのに、一気に陣痛が進んで8時頃には分娩室へと移動することになりました。
夫は立ち会い出産を希望していたのですが、横から母も分娩室に入りたいといいます。
👩(やめてー!そんなことされたら落ち着いてお産に集中できない😭)
そんなことを伝える余裕もありませんでしたが、看護師さんに『お産を見て倒れる人もいるのでおすすめは出来ない』ようなことを言われて、母は諦めてくれました。
良かった…。
母とはそれほど仲が良い親子とは言えないので、立ち会いなんて絶対してほしくありませんでした。
『ゆっくり来てー』と伝えられていた夫が、到着してなんとか間に合いました。
8時43分、長女は無事に生まれました。
本当に初めてのお産は想像を絶する体験で、今でも忘れることなく記憶が蘇ってきます。
父も早退して病院へ
私の父は、造船会社の現場職でした。
職場へ向かうとき、海を見たら午前中に満潮だとわかり、これはお産が始まると思ったそうです。
いてもたってもいられず、早退して帰ってきたら長女は生まれていました。
その日、5人も生まれました。
長女は4番目でした。
先に陣痛室に入っていた妊婦さん、一番に来られたのに最後の出産になったそうです。
しかも4人目のお子さんで、三姉妹の弟君。
待望の男の子だったようです。
私が分娩室に行ってしまったので、その方は陣痛室でのお産になってしまったようでした。
両親にとっての初孫だった長女。
それはもうみんなにとても可愛がられて育ちました。
長女にLINEをしてみたら
我が家は5人家族ですが、5人中4人がせっかちです。
外食をするとしたら、必ず長女に待たされます。
早く家を出たかったようで、18歳の時に家を出ました。
大学卒業後も関東地方へ就職。
その後、知らぬまに会社を辞めて2ヶ月間のニートを経て転職をしていました。
普段長女からの連絡はほとんどありません。
誕生日なので、LINEをしてみました。
👩『誕生日おめでとう。健康に気をつけて過ごしてね。』
👱♀️『ありがとう。今年もよろしくね』
今年もよろしくね???
これって親子で交わす会話かな?🤔
まあ、すぐに返事があっただけでも良しとしています。
まとめ
親として未熟だった私。
長女にはいろいろと窮屈な子育てをしてしまったと、今でも後悔があります。
親になって、親の気持ちもわかりました。
長女は年に1回しか帰省しませんが、私の方からもまた長女のところへ遊びに行きたいと思います。