9月9日は、救急の日です。
救急の日ということで、私が救急車に乗った体験談をお話ししてみたいと思います。
救急車に乗った経験
1回目
私が高校3年生の12月の終わり、病気で寝込んだことがない母が、数日前から体調を崩していました。
その日は父と兄が出かけていて、家にいたのは私と母だけでした。
部屋で受験勉強していた私を、母がか細い声で呼んでいます。
🙍♀️「救急車を呼んでほしい」
どうやら動悸が激しくなっているようです。
初めて119番に電話をしました。
👩🚒「もしもし、火事ですか?救急ですか?」
👱♀️「救急です。母の体調が悪いので、救急車をお願いします」
どのような状態かを聞かれたと思うのですが、その時のことは覚えていません。
住所を伝えた後、私は言いました。
👱♀️「近くまで来たらサイレンの音を消してほしいです」
実家の近所は、田舎ならではの噂好き揃い。
救急車が来たとなると、野次馬が押し寄せると思ったのです。
変なところに気が利く子供でした。
👱♀️「家が分かりにくいと思いますので、分かりやすいところで待っています」
救急車は私を見つけると、サイレンを消してくれました。
母を乗せた救急車が出発した頃、ちょうど父が車で帰ってきてすれ違ったようです。
窓越しに私らしき姿が見えて、嫌な予感がしたところにお隣のお節介おばさんが近寄ってきたようです。
👩🦰「奥さん、救急車で運ばれたで!」
ああ…バレていました😓
サイレンを消しても、そりゃ気づかれますよね💧
父は電話で母が搬送された病院を聞いて、後から病院にやってきました。
父は入院になると思って駆けつけたのですが、母の容体は大したことがなかったので、診察後に自宅に帰ることになりました。
その時に気がつきました。
母は靴を履いてきていません。
『ICU』と書かれたスリッパを借りて、そのまま帰宅しました。
一旦帰宅した母ですが、夜にも動悸が激しいと訴えたので、今度は父と兄で救急にかかった病院へ行きました。
不整脈は出ているものの、自宅で様子を見てくださいといことで、やはり自宅へと戻りました。
2回目
子供たち3人を連れて、実家に帰省していた時でした。
当時は長女13歳、長男10歳、次男5歳。
私1人で3人を連れて、近くの施設へ遊びに連行きました。
その施設は当時、小さな動物園と寂れた遊園地、ちょっとした公園と遊具もありました。
公園で子供たちを遊ばせている時に、長男と次男が喧嘩をして、次男が泣き始めました。
次男をなだめて滑り台で遊ばせている時、次男がバランスを崩してしまい、滑り台の半分あたりから落下しました。
次男が意識を失い、パニックになった私。
周りにいた男性の、
👨「救急車や!」
という声が聞こえて我に帰り、携帯で救急車を呼びました。
救急車を呼んでいる最中に、意識を取り戻した次男。
救急車には乗りたくないと泣き叫んだのですが、施設から消防署は徒歩1分ほど。
次男を抱えて道路沿いまで行くと、先に救急車の方が到着していました。
頭を打っている可能性があるので、脳神経外科のある隣の市の病院に搬送されることが決まりました。
長女と長男をその場に置いていくわけにはいかず、次男と私、長女・長男の4人が救急車に乗り込みました。
次男がまだ小さかったので、MRIは難しいだろうということでCTを撮りました。
意識を失ったのは脳しんとうだったようで、頭の方の異常は現時点ではないということでした。
ですが!CTを撮ったことで副鼻腔炎が発見されたので、自宅に戻ったら病院に行くよう言われました。
精神的なことが大きかった
母の体調が悪くなったのは、精神的なことからでした。
母方の祖父が、余命わずかだったのです。
次男も病院から実家に戻ってからは、しばらく吐いていました。
初めて救急車に乗って、CTを受けて、精神的にダメージを受けていたのかもしれません。
病は気からと言いますが、本当に気持ちの問題は大きく影響するのだと思いました。
まとめ
今になって思えば、どちらも救急車を呼ぶレベルではなかったかもしれません。
コロナ禍で救急車の出動が大変なことになっているニュースを見ると、ちょっと心が痛くなるお話でした。